大阪家庭裁判所 昭和52年(家)1348号 審判 1977年10月26日
本籍・住所大阪市
申立人 山本ユカリ(仮名)
国籍 韓国
住所 大阪市
相手方 張文熙(仮名)
国籍 韓国
住所 三重県
事件本人 張智和(仮名)
主文
事件本人の親権者を相手方から申立人に変更する。
理由
一 申立人は主文同旨の審判を求めた。
二 本件記録、本件の関連事件である当庁昭和五一年(家イ)第三四八二号内縁関係解消申立事件、同年(家)第二五九四号、第二五九五号親権喪失、後見人選任申立事件の各記録並びに申立人及び相手方に対する各審問の結果その他本件にあらわれた一切の資料を総合すると、次のとおりの事実が認められる。
(本件審判に至る経緯)
(1) 申立人は昭和一七年四月一五日父山本昭男、母同明子の長女として岡山県○○郡において出生した。中学校を卒業後神戸市で働いたのち、昭和三五年頃来阪し、大阪市内のアルサロにおいてホステスとして働くうち、客として来ていた相手方と知り合つて昭和三六年頃から同棲を始め、昭和三九年六月二九日婚姻届出を了した。ただし、申立人は婚姻後六か月以内に日本国籍離脱の手続はとつていない。
(2) 相手方は昭和一四年七月四日韓国籍父亡張仁秀、同母林美英の三男として、大阪市東成区において出生した。その後引き続きわが国において生活し、昭和四五年七月一五日永住許可を得ている。相手方の同胞も相手方と同様いずれもわが国において出生し、生活を営んでいる。申立人とは前記のような経緯で知り合い、婚姻したものである。
(3) しかるに婚姻後不和が生じ、また子供の籍を外国籍にしないでおこうという配慮もあつて、事件本人の懐妊後である昭和四〇年五月七日協議離婚の届出をなしたが、その直後である同月一六日申立人は大阪市○○区において事件本人を出産した。申立人と相手方とは前記のようにいつたん離婚したものの別居までには至らず、その後も同棲を続けて内縁関係にあり、昭和四二年一月二四日その間に山本輝男をもうけた(ただし、相手方は輝男が自己の子であることを認めているが、認知はしていない。)が、その後昭和五一年七月頃に申立人が二人の子供を連れて家出し内縁関係は絶止するに至つたものである。
(4) 相手方は婚姻後職業を転々とし、当事者等の生活は楽ではなかつたが、内縁関係が絶止する二、三年前からは相手方が営むようになつた金融業の収入で一応生活を維持することができるようになつた。しかし、昭和五一年にはいり、相手方が金融業に失敗したことを契機として双方の間に別れ話しが出るようになり、同年七月前記のように申立人が二人の子供を連れて家出をしたものである。
(5) 家出後、申立人は二人の子供を連れて大阪市内を放浪するうち、警察に保護を求め、警察を通じて大阪市福祉事務所に紹介され、同福祉事務所所轄の大阪市中央児童相談所により事件本人及び山本輝男は現在居住している養護施設○○互助園に措置され、申立人は大阪市婦人相談所の保護をうけ、三重県伊勢市において一時稼働していたものである。申立人はその後、昭和五一年一〇月単身帰阪して現住所に戻り、現在は調理師をして生活を営んでいる(なお大阪市中央児童相談所は、事件本人を児童福祉法二七条一項三号にもとづき養護施設に措置したものである。同法二七条四項によれば児童の養護施設措置については親権者又は後見人の同意を要するものとされているが、事件本人らの放浪状態等その保護の緊急性に鑑み現に監護している申立人の同意のもとに措置したものである。措置後、親権者である相手方が事件本人の養護施設収容には同意しない意向を示し、施設から退所させるよう主張するに至つたが、当裁判所は事件本人の福祉のために本件終了に至るまで事件本人を相手方のもとに返すことは相当でないと考えて、昭和五二年六月一日相手方が児童相談所及び養護施設に対して事件本人の引渡しを求めるような行為に及んではならない旨の審判前の仮の処分をなして審理を進めてきたものである)。
(6) 申立人は昭和五一年一〇月四日大阪家庭裁判所に対し、相手方との内縁関係解消を求める調停を申し立てたが、同申立ては翌日取下げるに至つた。また、前記内縁関係解消の調停申立てと同時に相手方の事件本人に対する親権喪失及び申立人を後見人に選任する旨の審判を求める申立てをなしたが同事件の調査、審理中である昭和五二年五月一六日同申立てを取下げ、同日改めて事件本人の監護者を申立人と指定する旨の審判を申し立て、昭和五二年七月二二日同申立ての趣旨を「親権者変更」に変更して現在に至つている。そして、上記事件の審理中において当事者双方間に話し合いの余地がないかどうかを考えつつ、審理を進めてきたものの結局その機会を見い出せずに本件審判に至つたものである。
(当事者双方の生活状況)
(1) 申立人
(イ) 申立人ほ、前記のように現在調理師として稼働し、手取月収約一五万円を得ている。現住所は申立人所有の家屋であり、同家屋は二階建六畳間四部屋、四畳半一部屋の広さであるが、現在申立人実母と二人で居住している。
(ロ) 申立人は事件本人らには一か月に二回程度面会に行つており、昭和五二年一月及び同年夏の休暇中には養護施設の外泊許可を得て事件本人及び輝男と生活を共にしている。そして、できるだけ早く事件本人らを引取つて生活を共にしたいと切望し、事件本人については自ら親権者となり、その帰化手続をとりたい意向である。
(2) 相手方
(イ) 相手方は前記のように金融業に失敗したのちは定職はなく、現在は商品受渡し業を営んでいるものの、健康を害していることもあつて十分な仕事ができず、そのため収入はほとんどない。相手方は、申立人が家出したのち同居するようになつた女性の援助によつて生活している状況である。健康状態がすぐれず、入院治療も考慮している。
(ロ) 相手方は、事件本人を申立人に渡すことはできない、自分が引取ると主張しているが、事件本人の収容されている前記施設に面会にいき、あるいは音信をする等の行動は一切していない。
(ハ) なお、相手方にはこれまでに三回の検挙歴があり、昭和三六年五月二六日大阪簡易裁判所で窃盗罪により懲役一年四月、昭和三八年三月一二日大阪地方裁判所で窃盗罪により懲役一〇月の刑に処せられ、それぞれ服役している前歴がある。
(3) なお、申立人は昭和五一年一〇月頃、大阪地方裁判所に対し、相手方を相手どつて相手方現住家屋(同家屋は申立人所有)の明渡訴訟を提起し、相手方欠席のまま昭和五二年二月七日申立人勝訴の判決がなされ、同判決は相手方からの控訴なく確定した。しかし、判決確定後も相手方は任意の明渡しをなさず、申立人は現在明渡しのための強制執行手続を行つているところである。
(事件本人の状況)
(1) 事件本人は、現在前記のように養護施設○○互助園に居住し中学一年に在学している。事件本人は昭和五一年七月までは父母と共に生活をしてきたが、前記のような経緯から施設生活を余儀なくされている。知的、身体的には年令相応の成長を遂げ、格別の問題はないが、精神的には生活環境の変化から不安定さがみられ、できるだけ早く安定した生活環境を確保する必要性がある。
(2) 事件本人と申立人とは親和的であり、母子としての結びつきも強く、事件本人自身も申立人のもとにおいて生活することを切望している。
(3) これに対し、事件本人と相手方との父子としてのつながりは稀薄である。すなわち、事件本人は「父に叱られた記憶もほめられた記憶もない。父の記憶としては母にいわれて大阪城へ連れていつてもらつたことと、時折キャッチボールをしてもらつたことぐらいで、特にかわいがられたことはないし、父がいないといつて別に淋しいと思つたこともない。父は援業参観に来てくれたことは一度もないし、勉強しろ等といわれたことも一度もない。父がどんな仕事をしていたか全く知らない。夜遅く帰り、朝早く出ていき、家にいないこともたびたびあつた。」等を述べており、これらの陳述からも父子としてのつながりが稀薄であることを窺知できる。もつとも、事件本人の述べている上記事実中には一見すると父子としてのそれなりの接触があつたことを示すやにみえるものもあるが、それについては事件本人にとつては感情の伴わない単なる事実としてしかうけとめられておらず、かえつて事件本人と相手方との接触はその程度のものでしかなかつたことを意味するものといえよう。このような稀薄な父子関係でしかありえないのは、事件本人に対して相手方が虐待、暴行等というような積極的な行為に及んだからではなく(そのような事実は認められない。)、事件本人の幼少の時から父子の感情交流の基盤となる父子らしい生活の実態がほとんど欠如した状態であつたからと考えられる。
以上要するに、現に親権者である相手方はその事業の失敗から現在事件本人を扶養しうる経済的な能力はなく、しかも現在居住している家屋を、明渡判決にもとづき直ちに明渡さなければならない法的義務を負い、生活の本拠を失おうとしている事態に瀕し、その生活状況は極めて不安定であり、その健康状態の悪化等もあわせ考えると、事件本人を養育する力はないと判断せざるをえない。また、事件本人と相手方との間には、前記認定のように父子としての結びつきの強さが全くみられず、事件本人をこのような相手方のもとにおくことは事件本人の健全な成長にかえつて悪影響を及ぼすものと考えられる。他方、事件本人と申立人との間には強固な母子の紐帯が形成され、事件本人、申立人双方共、できるだけ早く生活を共にしたいと切望していることが認められ、その気持ちをかなえさせることが事件本人の健全な成長に好ましいことは疑いないところである。申立人の収入はさ程多くはなく、経済的には必ずしも恵まれたものとはいえないが、困窮に陥いるようなことは認められず、また居住環境も一応ととのい、事件本人らが健全な生活を営むうえにおいて格別問題とすべき点はない。
三 (1) ところで、本件は日本人たる母が韓国人たる父に対し、韓国人たる子に対する親権の変更を求める渉外親子事件であるが、このような親権の変更すなわち親権帰属の問題は親子間の法律関係であり、これについては法例二〇条により父の本国法によることとなる。そこで、父の本国法である韓国民法の親権帰属に関する規定をみるに同民法九〇九条によれば、未成年者はその家にある父の親権に服し父がないとき又はその他親権を行使することができないときは、その家にある母が親権を行使するものとされ、なお父母が離婚するときは、その母は前婚姻中に出生した子の親権者となることができない、とされている。このように、韓国民法においては、父がないとき又はその他親権を行使することができないときを除き、父のみが親権者であるとされている。なお、同民法八三七条によれば、夫婦が離婚するに際し、当事者間にその子の養育に関する事項を協定しないときはその養育の責任は父に属するとされ、父が第一次的な養育責任者とされているが、当事者の請求により、法阮がその子の年令、父母の財産状況、その他の事情を参酌して養育者の決定、変更その他必要な事項を定め、相当な処分を命ずることができるものとされている。しかし、これらの法阮による決定は養育に関する事項に限られ、その他の父母の権利義務に変更を生ずることがないものとされており、したがつて法院において養育者の決定、変更その他必要な事項を定めても親権者の地位そのものにはなんら影響はないわけである。以上によれば、韓国民法においては、父がないとき又はその他親権を行使することができないときを除き、父母が婚姻中であると、離婚したときとを問わず、父のみが親権者であるとされており、わが国の如き親権者変更の制度はこれを認めない法意であると解される。
(2) しかし、前記認定の事実によれば、親権者たる相手方について親権を行使しえないような事情は窺えず、したがつて韓国民法を適用すれば相手方が親権者とならざるをえない。しかしながら、前記のように本件においては相手方及び事件本人の国籍の点を除き、当事者の住所、その他の生活関係は全て日本人と同様であり、その法律関係を律するにあたつても日本人に準じた扱いをすることが当事者の意識、ことの実体にふさわしいものと考えられること、そして現に親権者である相手方はその事業の失敗から現在事件本人を扶養しうる経済的な能力がなく、しかも現在居住している家屋を、明渡判決にもとづき直ちに明渡さなければならない法的義務を負い、生活の本拠を失おうとしている事態に瀕し、その生活状況、健康状態の悪化等から事件本人の養育能力がないこと、事件本人と相手方との間には父子としての結びつきの強さが全くみられず、このような関係にある相手方のもとに事件本人をおくことはその健全な成長にかえつて悪影響を及ぼすものと考えられること、他方事件本人と申立人との間には母子としての強固な結びつきがみられ、事件本人、申立人双方共、できるだけ早く生活を共にしたいと切望していること、それを実現することが事件本人の成長にとつて緊要であること、更に本件においては事件本人の養育の問題とともに事件本人の養護施設への措置を解除するにあたり事件本人を申立人、相手方いずれに引渡すべきかの問題が存し、この点については児童福祉法二七条四項等の規定に照らせば原則として親権者たる相手方に引渡すべきものと解される(児童相談所においても原則として親権者に引渡す取扱いをしているようである。)ところ、本件においてそのような取扱いを容認すれば、ひいては事件本人の健全な成長に悪影響を及ぼすものと考えられること等の事情が認められる。このような状況のもとにおいて、相手方を事件本人の親権者としておくことは事件本人の健全な成長が阻害されることを座視するに等しく、子の幸福を第一義として親権者を決定すべきものとするわが民法の理念及びわが国の社会通念に反し、ひいてはわが国の公序良俗に反するものといわねばならない。以上の次第で、本件においては法例三〇条により親権者変更を認めない韓国民法の適用を排除し、事件本人の親権者を父である相手方から母である申立人に変更することが相当である。
四 よつて主文のとおり審判する。
(家事審判官 出口治男)